在校生から
様々な体験を経て、次第に成長していく生徒たちが綴った、
日々の喜び、感動をご覧ください。
1年生(第10学年) スノーボードの大会を終えて
K.Uさん(男子)

雲一つない中、レザンから2校、エイグルから1校が出場し、お互いの日頃の練習の成果を競い合うSGIS(※)スノーボード大会が開催された。レザンは最近、雪は全くと言っていいほど降ってなく、大会の前日にはスキー場で雪崩が起きた。そのおかげでコンディションは最悪だと思いながら会場に向かった。
そんな僕の心配を吹き飛ばすほど予想外にコンディションは良かった。大会の開始時間は1時間遅れたが何の問題もなく開催された。まだ10年生の僕は16歳以下の部門で大会に挑んだ。
最初はスピード競技で、一人で滑ってタイムを競うものだった。ルールとして、一人二回しか滑ることができないので一回一回を大事に滑らなければいけない競技だ。スピードとターンには少し自信があったので、とりあえず転倒することだけは避けるように心掛けた。自信がありながらも一回目は旗を一つ飛ばしてしまいタイムがなかった。二回目は一回目の失敗からきた緊張に打ち勝つことができ完走することができた。自分なりに結構手応えは感じていた。
競技が終わり、先生が僕に一位だということを伝えた。今思うと、普通順位は最後に伝えるものだと思った。僕は最初からスピード競技だけしかやる気がなかったので、正直その時、スピード競技で優勝できたからジャンプ競技はもういいやと思ってしまった。でもやっぱりジャンプ競技でも優勝したいという思いが心のどこかにあったに違いない。そう思いながら次のジャンプ競技に挑んだ。
でもジャンプ競技を始める前に一つの大きな問題が僕にはあった。それは、大会で使うとされるジャンプ台を今まで飛んだことがなかったことだ。でもそんなことは気にしなかった。自分の実力を出すだけだという思いが強かった。思い通りにはいかず、何度も失敗を繰り返した。10回ぐらい飛んで、成功したのは2回ぐらいだった。
ジャンプ競技が終わり、ついに待ちに待った結果発表だった。まずは18歳以下のスピード競技の順位発表だった。そして16歳以下のスピード競技の3位と2位が発表された。1位の時に僕の名前が呼ばれた。先生から結果は伝えられていたけど、すごく嬉しかった。
次はジャンプ競技の発表だ。同じく18歳以下が発表されて次に16歳以下の発表だ。表彰台にあがることはないだろうと思いながら順位発表に耳を傾けていた。そうしていたら、1位発表のときに僕の名前が呼ばれた。とまどいながらも表彰台の上に上がり皆からの暖かい拍手を受け、2位の人と握手をした。
スピード競技とジャンプ競技の時、先生からたくさんアドバイスをもらった。それにたくさんの人からの応援が僕を優勝に導いてくれたのだと思う。来年もあきらめず最後まで自分の実力を出し切りたい。
※SGIS:スイスにあるインターナショナル・スクールの連盟
2年生(第11学年) ありがとうの言葉の重さ
M.Wさん(女子)

私はこの春休みにルーマニアへのボランティアトリップに参加しました。冬学期から約3ヶ月間の間、資金を集める活動をして、春休みの1週間をルーマニアにてhabitat for humanityの人達と一緒に家作りを手伝ってきました。始めは、普段から何一つ不自由無く生活している私にとって、これから貧しい暮らしをしている人が住む家を建築する手伝いをする事がどんなことなのかあまりよく想像もつかなかったのですが、この経験を通じて、「自分のため」ではなく「人のため」に時間を費やして何かをするという事はどういう事なのかを考えさせられました。
まず、現地に行くまでの冬学期の間、休み時間のbake saleや休日にレストランを開いてお菓子や料理を学校の中で売ったり、オープンハウスで抽選券を売ったりして資金を集めました。資金集めは、最初の頃はまだ新鮮だから楽しくてよかったのですが、学期が進んで忙しくなるに連れて、慣れも入ってくるので「めんどくさいなあ」という気持ちが生まれてきました。例えばレストランをする日は、開店が夜の7時だったとしても朝から料理を作り始めて準備をしなくてはならないので丸一日かかるのです。せっかくの休日をスノボに行くのを諦めてまで働くのですからしんどいのは当たり前です。「めんどくさい」と私だけではなく他のメンバーも少しは感じていたと思います。
しかしある日、私はオープンハウスの準備のため、ある仕事(その仕事とはボランティアトリップとは直接関係ないのですが)を人から頼まれました。私はよく考えずに承諾してしまったのですが、やり始めてみると結構時間も手間もかかったし、それをしたところで自分に何か利益が得られる様な仕事ではなかったので、また私は「めんどくさいなあ」と少し感じていました。ところが、その仕事を終えた時に、頼まれた人から「ありがとう」と言われました。そのたった一言が嬉しくて、頑張ってよかったな、苦労が報われたな、という気持ちになりました。このことから、ボランティアも同じ事なのかも、と気づきました。自分だって普段から周りの人に頼ってばかりなのだから、少しは周りの人に自分のできる事で助けてあげなくちゃいけないと気づきました。そして私は今年度のhabitatのメンバーが掲示板に張り出され、そこに自分の名前を見たときの、嬉しくて、「頑張るぞ」と思った初心を取り戻せたのです。
そして本番のルーマニアでの一週間。本当にあっという間に過ぎてしまいました。私たちが作業する所は少し田舎なので、行きと帰りにハンガリーのブダペストで前泊して、そこからバスで1日かけて移動したので実際作業した日数は4日程度でした。家の中の枠に断熱材を敷いて、その上から板を打ち付けて、壁と壁の間をセメントで固める作業を手伝いました。板にペンキも塗りました。もっと穴堀みたいな過酷な作業を想像していたので、とても楽しかったです。現地の人と一緒に作業したのですが、親切で人なつこい、いい人達でした。まだ作業に慣れていない私たちにやり方だけ教えて後は横で見ているだけの時もあって、慣れてない私たちにばっかりやらせて「のんきな人達だなぁ」と最初は思っていました。だけど、「やる時はやる」という感じで何か始めるとすごいスピードで終わらせてしまうし、私たちの助けを効率よく使っているなぁと後になって気づきました。やる時はさっさとやる、早く終わればその分休むときは休む。そんなスタンスができていました。自分も勉強する時そのくらいのペースで集中してできればいいのになと思いました。
私たち自身は普通のホテルに泊まって普通のレストランで食事していたので考えていたほど貧困には直面しませんでした。町の様子も思ったほど廃れた様子も無く、普通の生活が送られている事はわかるほどでした。だけど貧富の差が激しいから、陰に隠れて見えないだけで、habitatの力を借りて家を建てなければならない家族もいるのです。中心街を歩いていると、日本の若者の様におしゃれして歩いている人達がいれば、子供を抱えながら珍しい日本人の私たちにお金をちょうだいと言い寄ってくる人もたくさんいました。一つの国の中にそんなに貧富の差が混ざって暮らしているなんて悲しい事だと感じました。
チームのメンバーも仲が良くてすごく楽しいトリップになりました。このボランティアトリップを通して、人の為に何かをしてあげて感謝される事、自分も周りの人に感謝の気持ちを持つことって素敵な事なんだな、という当たり前の事がよくわかった気がします。
3年生(第12学年) 感動
T.Hさん(女子)

「指揮者によって自分の声がこんなにも変わるのか。」、「世界各国から来ている仲間たちと交流し歌ったことが本当に感動した。」、「音楽って偉大だな、世界って広いな。」Honor Band and Choir Festivalに行った仲間たちはそんなことを歌いながら感じた。HonorはMix Choir, Women Choir, Bandの3つに分かれていて、全員であわせて演奏する曲は1曲。
初めて全員で舞台にたち、あわせた時、鳥肌がたった。それと同時に家族と応援してくれた友達に、「ほんとうにありがとう。」という思いでいっぱいになった。本当に感動した。必死で私は涙をこらえながら、指揮者の力強い合図で元気にはつらつと歌った。
私は3回オーディションを受けて、今年初めて受かった。私は溢れんばかりの思いで「思いっきり歌ってやろう!」という決意をもった。実際にルクセンブルグに行ったのは3月半ばからだったけれど、1月後半に楽譜が渡されてから、私は一日に全曲、一回は通して練習しようと決めた。私がもらった楽譜は全部で9曲だった。
私はピアノが弾けないのでインターネットでリズムと音程をとり、自分のパソコンに移し練習した。他のメンバーは週に一回、先生と練習していたらしいが、私は時間がなくてその練習にでることができなかったので、ほとんど自己練習だった。そのせいか、みんなより遅れをとっている、と思った私はますます、しっかりやらなきゃ!というやる気がでた。
ルクセンブルグに着いて、練習は次の日から始まった。私たちを指導してくれた人たちは本当にすばらしい人だと思った。とにかく明るく、とにかくユーモアに富んでいた!練習中は笑いが耐えなかった。練習は1日9時間もある。9時間歌い続けるなんて思ってもいなかったし、本当に練習が終わった後はみんなも私もすっかり疲れきってしまった。でも先生は練習に元気を絶やすことなく教えてくれた。だから、私も練習中は疲れたという気持ちはあまり感じなかった。この先生のおかげで本番も先生を信じてしっかりと歌いきることができた。
そんな中で一緒に歌ってきた仲間たちだったから、言葉を超えて、いろいろな人と仲良くなることができた。聞いてみると中国や韓国、日本、アフリカなど、様々なところから集まっていて驚いた。一番驚いたのは14歳の人がたくさんいたこと。身なり、振る舞いがどう見ても14歳には見えなかった。
KLASに帰ってきてからは、次の日から春学期の試験だったので、Honorは現実逃避もいいところ、という感じだったし、見事に試験がボロボロだった。でも、「まぁ、いっかぁ。」という気持ちだった。
それは本当にHonorに行って、勉強よりも大切なものも学べたから、どんなにボロボロの成績表でも満足できたんだと思う。むしろ私のなかのその時の人生の成績表は満点だったと思う。
最後に、本当に応援してくれた家族や、友達に感謝しています。ありがとうございました。
卒業生・保護者から
KLASでの3年間を終えて、世界に羽ばたいた卒業生。
日本で子供の成長を見守ったご両親。それぞれにお話をうかがいました。
4期生
松鵜 太佳良

KLASを卒業してからは、アメリカの大学に進学して国際学と文化人類学を学びました。その傍ら、ボランティアとしてネパールで英語を教えたり、KLAS時代の親友に誘われてインドのNGOで働いたり。
その後九州で祖父母と暮らしながら子どもの英語教師や翻訳ボランティアをしていましたが、2年前、福岡の国連ハビタット事務所に就職。9月からはイギリスの大学院でNGPマネジメントを学ぶことが決まっているので、今は大学の学会準備などの仕事を手伝いながら留学準備を進めているところです。
今までを振り返ってみると、こうしてさまざまな環境にそのつど溶け込んでこられたのは、KLASで「自分を変える」柔軟性を持てたからだと思います。そもそも、中高一貫の女子校に通っていた私がわざわざKLASの転入試験を受けたのは、それまでの自分を捨てて「変わる」チャンスだと思ったから。スイスという新天地では、「自分という存在は、なりたいように作り変えることができる」と実感できました。在学中も、新しい環境に踏み出すチャンスが数多くあり、そのたびごとに自分を変える度胸が身に付きました。
イギリスから戻ったら、今まで学ばせてもらったことを、ぜひ地元である日本でアウトプットしたいと考えています。素晴らしい教育を受けたという自信があるからこそ、それを与えてくれた人や社会に還元していきたいのです。
保護者
本間 良雄・晃美ご夫婦

母:中学校は、大学までのエスカレーター式の私立に通っていたのですが、KLASの学校案内ビデオを観て親子3人で気に入ってしまいました。高校=中学の続きではない、新しい可能性を感じたんです。
父:本人にも、このまま終わってしまうのはイヤだ、という感覚があったようですね。
母:「家にいれば食事や洗濯でもなんでも親に甘えてしまう、それなら自分のことは自分でやってみたい、生活を変えてみたい」と言ってきたんです。
父:親元で干渉を受けるのがいやだということもあったようですけどね。
父:実際にKLASに入れてみて、本当に「いいところに出した」と断言できます。
母:子どもがつぶされないという印象がありますね。成績だけを気にして過ごすこともないし、都会で遊びに溺れてしまうこともないですから。
父:とにかくやることが多いのも魅力ですね。うちの子などは「もう少しスローペースで」と注意されてしまうほどあれもこれも楽しんでいます。寮生活も、昔の上下関係のイメージではなくて、いい意味での先輩後輩、人間のつき合い方が育まれている。レザンという土地も、遠いですが、行ってみると気候も穏やかで景色もよく、悪い誘惑もなくて最高の環境だと分かりますよ。
母:たまに日本に帰ってくると、すごく大人になったと感じます。何かを主張するにしても、一歩譲ることを覚えて、どう折り合いをつけるかを考えながら話すようになりました。また、もともと政治や経済に興味があったんですが、KLASに行ってからさらに話題が増えて、親のほうが知らないほどです。
父:しかもそれがうちの子だけではない。他の子どもたちを見ていると、お友だちを増やすにしてもここなら安心だという感じがします。それも含めて、「入ってよかったね」というのが家族全員の思い。日本でそのまま進学していたら、きっとここまでの可能性を感じることはなかったでしょう。