春休み課外活動報告
3月下旬の春休み、生徒たちはインドやセルビアへのオプショナル旅行(*)のほか、寮の同室メンバーや友人たちとスイス国内や他のヨーロッパ各国へ出かけ、新たな体験を得ました。
*旅行の概要紹介については2018年1月12日付現地レポート「春休みボランティアトリップ」をご覧ください。また、本校フェイスブックページでも写真を掲載しています(https://www.facebook.com/kumonleysinacademy/)
■世界の現実
11年生(高2)女子
今回私はHumanitarian trip in India 2018に参加しました。
そもそもなぜ私がこのトリップに参加しようと決意したのかを簡単に説明します。私は幼い頃から貧困や戦争に興味がありました。私が小学生の時、社会の時間に教科書を開くと、そこには私と同い年くらいの子供がガリガリに痩せ細り働いている写真がありました。私はその時、この写真は遠い昔のこと、今は世界中どこも日本と同じ“平和”だと思っていました。しかし、あの写真は昔のものではなく現在の写真だと知った時、ひどくショックを受けました。と同時に、この子たちを救えるのは私たちしかいない!と小さいながらも強く決心したのを覚えています。なので、私はKLASに合格した時からボランティアトリップは絶対に行く、と心に決めていました。
そんな思いで臨んだこのトリップ。正直驚きがたくさんありました。まず、空港。私はインドの空港に着いた時目を疑いました。なぜなら、驚くほど綺麗だったからです。その時私は“本当にボランティアが必要なのか”と思ってしましました。しかし、バスに揺れること2時間。先ほどの空港とは一変、そこには別世界が広がっていました。整備されていないボコボコの道、信号のない道路、今にも崩れそうな家、痩せ細った人々。周りを見れば土と木しかない、そんな場所に人々は住んでいました。同じ国の中でもこんなに差があるのか、とショックで私は言葉を失いました。しかし、現地の皆さんたちは快く私たちを受け入れてくれました。
私たちは現地の学校に訪問し、新しい校舎を建てる手伝いをしたり、現地の人の家に行き水を運ぶ手伝いをしたりしました。これは何か不思議なことを体験しているのではなく、世界の現実でした。現地の学校で生徒たちは授業を屋外で受けていました。机も椅子もなく、狭い空間に、大勢の生徒が集い、隣の子とは足が重なり合っていました。周りには瓦礫などがあり、安全な場所ではありませんでした。また、人々の家の壁は牛の糞でできており、料理の火は薪を使い、部屋の中には電気はなく、真っ暗でした。
そして何より私が一番印象に残ったこと。それは、バスですれ違う人々、現地の人々、学校の子供達、皆が笑顔でした。私たちより何十倍も辛いはずなのに、皆満面の笑みを浮かべて私たちに手を振ってくれました。そんな光景を見て私は泣きそうになりました。そして情けなくなりました。自分はこんなに恵まれているのに、と。
私がこのトリップで学んだ一番大切なことは、私がこの目で見た現実を“可哀想”だけで終わりにしないこと。私達は彼らを少しでも助けることができる。私達が手を差し伸べなければなりません。このことを周りの友達や家族に話し少しでも貧困問題などに興味を持ってもらう、それが今私のできる最初のことだと思いました。
また今回のトリップで初めて教科書やテレビで見ていた発展途上の国に実際に行きましたが、毎日ご飯が好きなだけ食べることができること、好きな洋服が買えること、学びたい科目が学べること、好きな場所に友達や家族と行けること、全て当たり前かもしれませんが、その一つ一つが奇跡で幸せなことなのだと、また自分の恵まれている環境に感謝しなければいけない、と改めて気付くことができました。
私にとってこのトリップはこれまでの人生の中で一番衝撃を受けた出来事と言っても過言ではない、そんな10日間でした。一つ一つ感じたこと、思ったことをもっとたくさんの人に伝えていきたいです。インドの人々の笑顔は一生忘れません。本当にありがとうございました。
■「障害」という認識
10年生(高1)男子
私は今回のセルビアでの研修で多くのことを学んだ。その中でも私の考え方を大いに動かした経験について書き記したいと思う。私は Nasa Kucaという施設に訪問した。そこは障害を持つ者の家族が組織している知的障害者支援施設でJICAが支援をしている。そこでは障害を持っている人々が働いている。彼らは私たちがどこにでも目にする普通の大人のように仕事をしている。
障害のある人も仕事ができない訳ではない。わたしたちとは変わらない。だが、世間もここに訪問する前の私も、彼らにどこか抵抗を持っている。しかしながら今の私は、彼らは私たちと同じ一大人であるという認識にある。私が今回伝えたいことはこの考え方に至った経緯についてである。
確かに、彼らは集中力が持たずに仕事を放棄してしまう。そして子供のような対応をしてしまうことも事実である。しかし、障害を持っている人々を私たちと同じく普通の一大人としてみることは、私たちの見方や対応次第であることに気づいた。私に抵抗があった理由は、今思えばそもそも近くで触れ合うこともなく、彼らをよく知っている訳でもないのに、「障害者」として捉えていたことにあった。
「障害者であるから私たち普通の人とは違う。私のような普通の人間と一緒にしないでほしい。怖いからできるだけ近づいてほしくない。」そんな考え方を過去にしていた自分がいた。しかしそれは大きな間違いであり、偏見であった。自分の過去の認識の誤りを正したい気持ちでいっぱいだ。よく考えてみればわかることである。人間の大半は病気にかかる。病気にかからない方が少ない。それが生まれてからすぐになるかそうでないか。それが重度か軽度か、それだけの話である。だから彼らを同じ一種の人間としてみないことがどれだけ残酷であるか、私はよく思い知らされた。
私は彼らと触れ合う機会を設けることが大切だと感じた。例えば1日限りのボランティア活動や私たちが行った見学や体験などだ。それらを行うことによって「私たちがどれだけ楽に生きているのか」。また「私たちは楽な生活をしているにもかかわらず、障害をもっている人々に対して気配りをしていないことがどれだけ人としてよくないか」が分かる。
だがそのような障害を持った人々と関わる機会は実際のところ少ないし、その機会を提供したがらない者もいる 。だから自分でできる範囲の行動をする意思が大事であると感じた。日本のバスや電車を考えてみるのが良い。日本でもし高齢者の人が乗ってきたら椅子を譲るのはもはやマナーとしてほとんどの日本人に身についているであろう。だから、彼らを一大人と認識しつつも、彼らを手助けすることが私たちにとって身近にできることだろう。そして「障害者」という認識から「ただ障害を生まれながらや成長過程で患った一大人」として認識することが大切である。
■難民として生きる難しさ
12年生(高3)男子
私はスプリングブレーク中の3月21日に“メッドエア(Medair)”というNGO団体のあるプログラムに参加してきました。プログラムの内容は、自分達が難民となったらどうするべきか学ぶことを目的として、参加者はある難民キャンプに住む難民となり、訪れてくる様々な人々と交渉し、いかに我々に必要な物資や病人を癒す薬などを補給し、 想定できるかを体験するプログラムでした。
行われた場所はローザンヌの郊外にある、森の中に建てられた擬似キャンプで行われ、当日は3月とはいえ、強風が吹き、とても寒いものでした。
そんな中、2時間を通して、プログラムは行われました。何人かは個別の役割を割り振られ、ある人は、「キャンプリーダー」、またある人は、「交渉者」。そして私は「医師」を割り振られました。プログラムの中で、キャンプは近くの病院まではとても距離があり車もないため、通院どころか病院へ向かうことさえ難しいというような状況にあるという設定で、いかにして キャンプを訪れた人と交渉し、薬や物資または情報を手に入れるかという役どころでした。全部で5つのグループがキャンプを訪れ、それぞれが全く違う目的でキャンプを訪れて行きました。
最初のグループは、ある国を目指しているようで、どの方向に進めば着くかを訊いてきました。私たちは、方向を教えるかわりに水と食料を少し分けてもらうことで、手を打ちました。そして、2番目のグループは体調がすぐれない人を連れていて、手当を要求してきたのですが、少ない我々の物資ではこの要求に対応するのは厳しかったので、代わりに病院から出ているバスの場所を情報として渡すことで、手を打ちました。3番目のグループは、国連からの派遣社員さんで、キャンプの現状を調査しに来たようだったので、彼らが持っていた生活必需品を少し分けてもらいました。4番目のグループは、1番目と同じような感じで、火をつけるためのマッチを手にいれ、5番目は半ば強引な形で、我々の食料を奪おうとしたので、少し威嚇して追い出してしまいました。
このプログラムが終わった時、わたしは多くをことを思いました。特に言葉が通じずに、相手のアグレッシブな態度に物怖じしてしまったりしたことは、改めて自分はまだまだだなと思わされました。しかし、得ることも多く、相手と話す時は、どんな人でも冷静に、そして対等に話すことがどんなに難しく、大切かを学ばされました。プログラムは、2時間と少し短めでしたが、それでも難民の視点からみる、生きることの難しさは、現在の自分の価値観をガラッと変えるものでした。